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  <title type="text">れーでるく・ブログ</title>
  <subtitle type="html">思いついたことなど不定期に。</subtitle>
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  <updated>2016-03-28T22:27:03+09:00</updated>
  <author><name>いとま</name></author>
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    <published>2017-09-18T16:51:55+09:00</published> 
    <updated>2017-09-18T16:51:55+09:00</updated> 
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    <title>創作とは斯くも難きものか</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[作品というのは、辻褄が合うように構成するだけでも私のようなへっぽこ創作者には至難である。<br />
いや、成功している商業作品でもご都合主義や説明不足が蔓延している辺り、そこが最優先事項ではないということなのだろうか。<br />
ひとまずそれは置いておこう。<br />
良い作品というのは、たいてい辻褄が合った上で、読者の感情や視線を思い通りに誘導する。<br />
絵ならば視線誘導、音楽なら期待感、小説なら予想の誘導、映像なら&hellip;&hellip;キリがない。無論そこから逸脱し、裏切ることも含めてワンセットだ。<br />
創作をされている読者の方は「当然のことを何を今更」と思っているところだろうが、ご容赦願いたい。<br />
<br />
単に音楽といった時に、これはさしたる難題と感じられない。<br />
音楽の上で「辻褄」とは何であろう。ドミナント・コードからサブドミナント・コードに進行しないことか。ツー・ファイブをファイブ・ツーにしないことか。それを回避するのは容易である上、そういった表現を意図して使うことはたいてい作品の完成度を損なわない。<br />
歌詞の矛盾もなんだかんだ許容されてしまうし、展開もそれはもう滅茶苦茶で結構、という話だ。<br />
<br />
さて、これが物語音楽となると話は大きく変わる。<br />
「読者に考察させる」という誘導がある。これは意図的に全ての情報を明かさず、読者がそれを勝手に想像することで作品世界に膨らみを持たせるというものだ。「考察したいからする」ではなく、「考察させる」のだ。難しいことだが、確かにこれを成し遂げている作品は少なくない。<br />
それほどまでに難しい理由は、捨象すべき情報の取捨選択にある。本来、小説を書く時などは「読者は作者と違って作品の内容を知らない。説明不足になりすぎないように」ということを意識させられる。つまり、それらしく話を書いただけでは、全貌を知らない読者は物語を理解することすら困難であるというわけだ。さて、「読者に考察させる」誘導を利用する場合、読者が物語に入り込むのに支障がないように情報を削らなくてはならない。これが恐ろしいまでに難しい。本筋に触れなければ良いというわけではない。それではただの「文章ダイエット」であり、削られた部分を考察しようという気すら起こさせない。ただし本筋を下手に削ってしまうと、物語そのものが読者を置いてきぼりにしてしまうのだ。<br />
<br />
さて、ならばそんな難しい技法は使わないのが吉だ、と考える方も多いだろう。残念なことに、そうもいかない場合がある。われらが愛すべき物語音楽である。<br />
音楽というものは、短い。15分や20分の「極めて長い」曲は、決して他の芸術と比べて時間を取らせるものではない。現時点で私の作品として上がっている最長の曲「無塵の航路」は7分46秒をかけ、たった1,230字の歌詞を伝えるものである。この調子では、20分の曲で伝えられる文字数は<span class="cwcot" id="cwos">3,167字程度という計算になる。参考までに、日本の著名な短編作品の文字数を幾つか載せておく。数え間違いを避けるため、十の位を四捨五入してある。<br />
<br />
蜘蛛の糸(芥川龍之介)　2800字<br />
高瀬舟(森鴎外)　8300字<br />
やまなし(宮沢賢治)　2700字<br />
<br />
忘れてはならないのが、これらは短編の名手と呼ばれる文豪たちによって書かれたものであり、これ以上なく「必要な言葉」だけで紡がれた文章であるということだ。無論、詩とは比べるべくもなく多いが、物語を物語たらしめるだけの文字数である。<br />
さて、実際は20分の曲を作るのは現実的ではない。長い曲を書くアーティストもあるが、普通は常日頃からそんなことはしていられない。作るとしても、渾身の一曲としてである。<br />
即ち、1000字程度に収めることを想定することになる。(※ヒップホップ楽曲では二倍近くの密度でリリックが紡がれるが、曲が長くなることはあまり想定されていないので合計の文字数はさして変わらないものと考えて良い)そうであるからには、物語の全てを描き切るのは不可能である。「蜘蛛の糸」などよりも簡潔に描くしかない。それゆえ、捨象した部分を読者に考察させる必要が出てくるのだ。この点、俳句や詩と近い性質を持っているのだ。<br />
<br />
とはいえ、実際のところ、物語音楽はもっと雄弁である。例えば文章であれば「その時、何かが水に落ちる音がした。」と書くべきところを「ポチャン」という効果音一つで表現できる。「その時、背筋が凍った。」の代わりに、ウォーターフォンか何かの不気味な音色を鳴らせば良い。むしろリスナーの背筋を凍らせることで、文章で表現することも出来るかもしれない。器用に使えば、物語音楽というのは決して束縛感ばかりの芸術というわけではないのだ。<br />
<br />
「波濤」に関する限り、私はこの挑戦に失敗した。難解な多義語を使い、リスナーに「ググらせる」のは正しいやり口ではないだろう。某「物語音楽の旗手」・「殺人ソング界の貴公子</span><span class="cwcot" id="cwos"><span class="st"></span></span>」も、架空世界を舞台とするよりも現実世界をモチーフにした方が楽であると言っていたが、その意味が今では痛いほど分かる。だが、だからこそ、私はこの題材を選んだのだ。今後も試行錯誤を続けていこうと思う。実のところ、この点に関する反省はもう済ませてある。きっと、次こそはなんとか出来るつもりだ。応援して頂けると、嬉しいものである。<br />
<br />
締まらない終わり方になってしまったので、参考までに、本記事の文字数を最後に記したいと思う。では、またいつか。(1971字)]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-09-07T23:24:08+09:00</published> 
    <updated>2017-09-07T23:24:08+09:00</updated> 
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    <title>無塵の航路・汀の鳥は</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[ブログを暫く更新していない間に二曲上がっていました。<br />
旅行に行ったり、コンサートに行ったり、<a href="http://raidelk.net/shuffle/" title="" target="_blank">創作者向けの遊べるTwitterアプリを作ったり</a>、次作の構想を練ったりと、色々なことをしていました。<br />
「無塵の航路」および「汀の鳥は」、聴いていただけましたでしょうか。<br />
(聴いていないという方は<a href="http://raidelk.net/lab/cradle1.html" title="" target="_blank">こちら</a>)<a href="http://raidelk.net/lab/cradle1.html" title="" target="_blank"><br />
</a>「無塵の航路」は本作「波濤」のクライマックスシーンとなる組曲形式のシンフォニックな楽曲、<br />
「汀の鳥は」はエンディング(扉曲)となっております。<br />
<br />
設定の関係上、オープニング及びエンディングの位置付けとなる楽曲を「扉曲」と呼んでおり、本作では「翼下の空隙」および「汀の鳥は」がそれに当たるのですが、じゃあオープニングやエンディングの方だけについての呼称があるのかと聞かれると固まってしまいます。入口曲・出口曲&hellip;&hellip;？うーん&hellip;&hellip;。<br />
実はアニメを意識して扉曲は90秒で一区切りつくような構造になっております。暇があったらアニメPV風のものも作ってみたいのですが、私は絵を数十枚描くよりは新曲を作る方が性に合っているようです。<br />
<br />
ひとまず、これで「波濤」は完結となります。<br />
「波濤」は「薄明近きクレードル」の第一部に過ぎないので、続編(？)はまだまだ出していきます。<br />
むしろ「波濤」が全体から見たプロローグのような位置づけだったり。<br />
<br />
最後にお知らせを少しさせて頂きます。コミックマーケット93にRaidelkとして申し込みました。本作品のリマスター版を「クレイドル・ノート」の名前で頒布する予定ですが、サークル参加が初めてなもので、どうなることやら&hellip;&hellip;。当選した際には、よろしくお願いいたします。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-05-26T02:23:23+09:00</published> 
    <updated>2017-05-26T02:23:23+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>雨の日の気まぐれ</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[お久しぶりです。いとまです。<br />
<br />
多大な影響を受けているRevo氏の新しいアルバム「進撃の軌跡」を聴いた後、知人に「しばらくは曲作れないかもしれない&hellip;&hellip;」などと送った後、作曲の捗らない日々を送っています。決して曲が思いつかないわけではないです(本当に)<br />
<br />
とはいえ、既に完成している分の曲はあるわけでして、今回はそちらを公開させて頂きました。薄明近きクレイドル第一部「波濤」の七曲目「雨の日の気まぐれ(inst.)」です。<br />
実はこちらは六曲目「トーヒコー紀コー」よりも先に書いた曲で、多少繋がっていたり、いなかったりします。<br />
<br />
通しで聴いた時に、クライマックスに向けて一旦落ち着くための曲という扱いなので、もしかすると単体で聴いた時に物足りなさを感じるかもしれません。<br />
次が恐らくは本編の最後の曲となります。まだ途中ですが、自信作ですので、ぜひご期待下さい。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-05-03T18:26:05+09:00</published> 
    <updated>2017-05-03T18:26:05+09:00</updated> 
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    <title>トーヒコー紀コー</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[いとま良かった、なんとか上げられました新曲です。薄明近きクレイドル第一部「波濤」の六曲目「トーヒコー紀コー」を公開しました。<br />
<br />
やっと自分の中でやりたかったことをやれた気がします。7分超えの曲ですが、ぜひ聴いて頂けると幸いです。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-03-11T16:16:10+09:00</published> 
    <updated>2017-03-11T16:16:10+09:00</updated> 
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    <title>Londefeld</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[いとまです。<br />
薄明近きクレイドル第一部「波濤」の五曲目「Londefeld」を公開しました。<br />
今回は私は一切歌っていません。物理学者ミカー・ロンデフェルドのソロ曲です。<br />
<br />
作品の節目ということでこの曲の専用絵を描いたのですが、納期が2日しかない状況で頑張りました。パースとか知らないです。<br />
こんな難しい曲に付き合ってくれた紺葉くん、本当ありがとう。]]> 
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    <published>2017-02-19T07:30:27+09:00</published> 
    <updated>2017-02-19T07:30:27+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>L軸上の邂逅</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[そうして語られたカレーのうどんな話は～♪<br />
<br />
&hellip;&hellip;はい。いとまです。<br />
本日、薄明近きクレイドル第一部「波濤」の四曲目「L軸上の邂逅」を公開しました。<br />
実は、今回は歌っているのは私だけではなく、クロード・レドウェル君に手紙を出した張本人、物理学者ミカー・ロンデフェルド役として紺葉さんが参加しています。<br />
<br />
いやー、割と悲願だったんですよ。これが。ようやく軌道に乗ったという感じです。<br />
彼にはこれからもしばらくミカー役として参加して頂きます。大好きな声の方なのでレコーディングも楽しくて仕方なかったですね&hellip;&hellip;最高か？<br />
<br />
ちなみにですが、タイトルにあるL軸というのは寺田虎彦さんの「ルクレチウスと科学」で議論された概念で、直感的な思考に特化した科学者などはL軸上にいるなどといいます。ふふん。<br />
<br />
あと、実は今回からダミーヘッドマイクを効果音収録のために導入しました。前回まではモノラル録りだった(というより録れなかった)ので、えらい差です。他にも何か使い道があれば良いなぁと思って色々画策中です。ちなみに、ダミーヘッドマイクは発泡スチロールを切り出して作った自作のもので、スチロールヘッド君&beta;と呼んでいます。(無印&rarr;&alpha;&rarr;&beta;と変遷があります)<br />
<br />
是非曲を聴いて確認してみて下さいませ。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-02-14T10:00:00+09:00</published> 
    <updated>2017-02-14T10:00:00+09:00</updated> 
    <category term="未選択" label="未選択" />
    <title>i Shooterに曲を提供しました</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[たーのしー！<br />
<br />
いとまです。実はしばらく前に、フリーの音楽ゲームにオリジナル曲を一曲提供させていただいていましたので、それについての報告になります。<br />
<br />
提供させて頂いたのはOrange-starさんのアイシューター(i Shooter)というゲームで、グルーヴコースターがモチーフとなっています。<br />
<strong><em>&rarr;Orange-starさんのサイトは<a href="http://masao775.web.fc2.com/" title="" target="_blank">こちら</a></em></strong><br />
<br />
提供させて頂いたのは「歪ナ痕」という曲で、難易度は4/6/9と、「そこそこ難しめ」程度の扱いになっています。(難易度は1~10なので)<br />
この曲は実は過去にとあるRPGに提供させて頂く予定が没になった「歪な殺意」という曲のアレンジバージョンとなっておりまして、実は短かった尺を短時間で十分な長さに伸ばしたものだったりします。譜面はOrange-starさんにお任せという形だったのですが、それらしくなっています。<br />
<br />
i Shooterにはボカロの名曲や、人によっては聴き慣れているかもしれないフリー音楽素材など、オリジナル以外にも様々な曲が入っています。ぜひ<span style="color: #c0c0c0;">Windows環境のある方は<span style="color: #000000;">プレイしてみてはいかがでしょうか。</span></span>]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-01-19T19:28:18+09:00</published> 
    <updated>2017-01-19T19:28:18+09:00</updated> 
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    <title>無料でコンテンツを公開するということについて</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[いとまです。<br />
<br />
本日、西野亮廣さんがクラウドファンディングで資金を募って制作した人気の絵本「えんとつ町のプペル」がインターネット上で無料公開されたことが話題になっています。<br />
<br />
お金をかけて制作した芸術作品や娯楽作品を無料で公開することはよいことなのか。こういった論争を、近頃は多く見かける気がします。元々少なかったわけではないのですが、無料で入手できるコンテンツが増加したことが理由なのか、或いは、単に議論が認知されてきたということなのか&hellip;&hellip;。<br />
<br />
ともかく、それに関して、インターネットに創作物を垂れ流している身として、少し考えたことがあるので、書かせていただきます。<br />
<br />
<br />
「無料で公開することは、コンテンツを破壊する」とする向きがあります。&mdash;&mdash;強い言葉になってしまい申し訳ありません。<br />
近年、多くの人々(あえて若者とは限定しません)にとって、コンテンツとはブラウザやアプリケーションを開けば無料で享受できるものです。アマチュアによって作られたものならば、それは尚更のことです。しかし、それによって被害を被っているクリエイター達がいるのも事実です。<br />
<br />
一つは、プロのクリエイター。この方々は、身につけた専門技術を無料のものと勘違いされるがために、理不尽な仕事を依頼されたり、コンテンツが売りにくくなったりすることがあるのだとか。(これに関しては、私が部外者に過ぎないため、伝聞になってしまううえ、信ぴょう性も高くないものと考えて頂きたいです)<br />
<br />
もう一つは、同人のクリエイター。この方々は、自費でコンテンツを制作しているので、無料で頒布してしまうと完全にマイナスが出てしまいます。売っているがマイナスが出ているよ、という方にとっては(実際、こちらの方が多数派だとは思いますが)、より大きなマイナスです。同人活動で稼ごうとするのは無理のある話ですが、確実に大損すると分かって創作をしたいと思うものではありません。<br />
また、やはり「絵を描ける」ことや「曲を作れる」こと、「話を書けること」「写真を撮れること」「データの処理ができること」&hellip;&hellip;こういった技術は、無料で消費されるものとして認識されるべきではないでしょう。少なくとも、私はそう思います。<br />
<br />
<br />
さて、私は一年ほど前から、Raidelkというサイトで無料で絵と音楽を公開しています。<br />
正確にどのくらいの方が見て下さっているものかは分かりませんが、一日百件程度のリクエストがあるそうです。(本当か？)<br />
サイト開設前は、どういった形式で創作を発表するべきかずっと悩んでいました。<br />
<br />
シンプルにイベント等でCDを頒布すべきだろうか？クオリティがお世辞にも高くないことは承知していましたが、それは無料で公開する理由にはなりません。お金を取るというのは、作者が作品に対して責任を持つことにもつながります。<br />
<br />
或いは、動画サイトにアップロードすべきだろうか？現在、曲を公開するとなったら、動画サイトが主流になっているのではないかと思います。私も6年ほど動画投稿者として活動していたので、わかります。広告収入も得られるので、プラマイで言うと恐らくプラスになります。<br />
<br />
しかし色々悩んで、結局、私は自分のホームページを開設し、そこに半ば引きこもるような形で創作活動をしています。無料で作品を公開しています。<br />
<br />
先述の価値観に基づく葛藤はありましたが、それにも勝るものがありました。<br />
<br />
一番は、少年時代の自分の最大の思い出でもあった個人サイト時代への懐古です。当時、一部の界隈でjavascriptやperlでちょっとしたゲームを制作して自分のサイトで公開するのが流行っていました。infoseekのレンタルサーバーが人気だった記憶があります。MIDI素材を配布しているサイトから曲を引っ張ってきて、勝手にBGMとして流したりしていました。もちろん、利用規約に基づいて、です。<br />
今でも、素晴らしい時代だったと思っています。思い出補正もあるでしょうが、お金なんて出せるはずもない引きこもりの少年に、商業にも負けないであろうクオリティの作品たちは、大いに生きる希望を与えてくれました。自分のサイトにもなんとか作り上げた稚拙なゲームを載せたとき、私は初めて何かを作り上げてそれで人を楽しませる喜びを知りました。<br />
<br />
再現とはいかないまでも、当時の私が覚えた感動に、少しでも近づきたいと思っているのです。<br />
<br />
&hellip;&hellip;その他に、もっと個別的な理由としては、プレイヤー周辺の形式を整えられるということもありました。これについては未完成で恐縮なのですが、サイトのレイアウト自体を創作の雰囲気に合わせられることによる、没入感の増加というものは、前時代的かもしれませんが、私の理想としてありました。ちょっとしたギミックも設置しています。ゆくゆくは、隠しページなども作れたらいいな、などと今は考えています。&hellip;&hellip;これは構想です、ただの。<br />
<br />
<br />
このように、理由があってこのような形態を取らせて頂いていますが、無料で作品を公開することに対する抵抗がないといえば嘘になります。<br />
<br />
そこで現在は、もしも、あくまで仮定の中の仮定の話ですが、ある程度聴いて頂けるようになったら、作品をリマスターして、ちゃんとした形で頒布したいと考えています。<br />
<br />
現在公開している作品は、基本的に192kbpsで、絵も私の未熟なタッチのものになっています。もし頼まれても、サイト上でそれ以上の品質向上は行いません。<br />
しかし、もし、私のような者の作品にお金を払って下さる方がいるのであれば、ちゃんとそれをお金を持って公開して、サイト上のものを「プロトタイプ」「無料版」のような扱いにできればと思っています。こんなのも言い訳に過ぎないかもしれませんが。<br />
<br />
<br />
ということで、私は西野さんには同意しませんし、正当な対価を貰って活躍しているクリエイターを「お金の奴隷」などと呼ばれていたことには到底納得できませんが、無料で公開することそのものは理解できますし、そのこと自体を批判されるのは苦しいなあと思っています。(批判して下さっても構わないのです。念のため。)<br />
ただ、無料で公開することのエクスキューズを「自分なんて素人のクオリティの低い作品でお金取るわけにはいかないから」には絶対にしませんし、いかなるクリエイターの方もそうあるべきではないと思います。<br />
<br />
ちなみに、西野さんの「えんとつ町のプペル」は無料公開後、急激に売り上げが伸びたそうです。ボランティア精神からにせよ、反骨精神からにせよ、純粋な芸術への興味にせよ、今のご時世にもわざわざお金を払う方もいるという一つの例にはなるのでしょうね。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-01-08T19:10:46+09:00</published> 
    <updated>2017-01-08T19:10:46+09:00</updated> 
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    <title>零の塋域</title>
    <content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="utf-8"> 
      <![CDATA[昨年末に波濤の四曲目「零の塋域」を上げました。前曲「人を探しています」の前日談、なぜクロード君が船に乗ることにしたのかという曲です。読み方は「ぜろのえいいき(なぜか変換できない)」です。<br />
<br />
また少々長めの曲です。物語音楽だから仕方ない、などとも言われましたが、これは完全に私の手癖な気がします。もっと多い情報量を&hellip;&hellip;！短い時間で描いている作品もあるもの&hellip;&hellip;！<br />
とはいえ、サビのストリングスなど編曲面は大変気に入っている一曲です。ぜひ聞いて頂ければ幸いです。]]> 
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            <name>いとま</name>
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    <published>2017-01-08T18:11:18+09:00</published> 
    <updated>2017-01-08T18:11:18+09:00</updated> 
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    <title>存在しない感覚の話</title>
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      <![CDATA[<span class="x_s1">小説を読んでいると、時折「存在しない感覚」を追体験させられることがあります。例えば、こんな一節があったとします。<br />
</span><span class="x_s1">　「それは闇であった。見た目のことではない。目に映るそれはどこまでも白く光り輝いていた。しかしそれは、限りなく深い闇にほかならなかった。」<br />
</span><span class="x_s1">　こういった表現は文芸においては珍しいものではありません。しかし、白く輝く何かを、「闇」として認識することが、本当にあるでしょうか。人間の感覚は、五つの感覚、即ち五感に分類されます。「光り輝く」は視覚による認知で、「闇」もまた視覚による認知ですので、相反するそれらが共存することは想像しがたい。しかし、多くの読者はそれを理解することが出来ます。なぜなのでしょうか。<br />
</span><span class="x_s1">　一つに、小説は、読者の経験に依存した媒体であるということがあります。実際には文字列が並んでいるだけなのに、読者は作中の景色を見ることが出来ます。部分的にであれ、似た景色を、経験的に知っているからです。或いは、生まれてこのかた平和で実際的な世界から出たことのない読者が、目の前で奇怪な容貌をした怪獣に親友を食い殺された登場人物の絶望を感じ取ることが出来ます。自分が経験として味わったことのある「絶望」の感覚を想起し、それに主人公の置かれている状況の描写を重ね合わせればよいのです。同様に、「光り輝く」「闇」を思い浮かべることが出来るのです。自分が闇を見た時の感情変化を思い出し、光り輝く対象物を見た語り手に重ね合わせるのです。これは、小説が得意とするやり方です。<br />
</span><span class="x_s1">　もう一つ、異なるアプローチを考えてみましょう。「白く輝く」「闇」を現実世界で体験する方法があります。例えば、どんよりとした表情の痩せ衰えた人物の肖像画が煌々とバックライトで照らされていた所で、それを見て明るい気持ちになる人は少ないでしょう。「闇」とさえ感じるかもしれません。これは記号としての「闇」と物理的な「光」を組み合わせたものです。この手法は、様々な芸術に拡張可能です。ファンシーな色遣いで無機質な病棟を描いた絵画や、切なげなメロディーで喜びを唄った曲。それらはただミスマッチなだけでなく、「存在しない感覚」を再現する効果があるのかもしれません。<br />
</span><span class="x_s1">　そこまでわざとらしくせずとも、「なんとなく悲しくなる楽しげなイラスト」なんてものも作れます。実は先ほど五感の話をしましたが、第六感というものは科学的にも実証できるかもしれないそうです。自分でも認識していないような過去の記憶が、勘の正体なんだとか。暗黙的学習(implicit learning)などと呼ばれています。これに語りかけることで、「なんだか不穏」「なんだかリラックスできる」のように感じさせることが出来るかもしれないと私は考えます。どうしても、受け手の経験に依存してしまうのは仕方がないことですけれどもね。<br />
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